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フジエダの”キョウイク観”

猿にたとえないで

「猿」をキーワードに「note」をリライトします。

本当に突然ですが、実は私「手芸」でちょっぴりお金を稼いでいます。

クリエイター系プラットフォーム「note」でアカウントがあり、たまに文章や作品の写真を載せてみたりしている、小さな小さなブログなのですが。

あとは、Instagram。1年前から細々と作品の写真を撮り溜め、最近は割と頻繁にアップするようにしています。

この「note」と「Instagram」の2つは、ポートフォリオとしての位置付けで更新しているのですが...

 

その二つのうち「note」では、著者自身が元々高校教員だったことはプロフィールに記してあり、作品づくりの合間に教員時代のエピソードを書くこともあります。

今日はその中で、

”猿にたとえないで”

という記事をリライトしていきます。

 

こちら新しく立ち上げた「WAKAME」は”教育系アカウント”です。

ホームページ制作はゼロから自分で行いました。

ブログも、準備作業から全てを記録していくと決めました。

だからこそ、この記事は埋もれさせてはいけないと、思いました。

きっとさまざまなご意見があるかとは思いますが、

この「猿にたとえないで」という記事は、自分がこの起業に至った軸となる重要な考えが記されたもの。

 

多分下書きのまま、何度もリライトしては公開できずに、また下書きに戻して、、、を繰り返していくでしょう。

そして、これを皆さんがきちんとした形で目にする頃、あるいは初めて子どもたちを迎える頃には、自分が今まで歩いてきた道のりがこのブログに刻まれてカタチになっていることを祈ります。

さあ「猿」のたとえ話をしよう。

昔、ものすごく前に勤めた高校での話です。

 

入学式前の時期。3月下旬のこと。

職員室でベテラン教員のA先生が、いつものようにぼやいていました。

「ああ〜、また1年生の担任かあ〜」

 

私はその頃まだまだ新米で、無邪気にこう答えました。

「え〜!!いいじゃないですか〜、1年生!!新鮮で!!学習指導のしつけは最初大変ですけどね〜。」

 

ベテラン先生はこう続けました。

「そう!?だってさ、大変じゃない?”猿を人間にする”のが」

 

猿?

 

 

"猿"="新1年生”

"猿"が"新高校1年生"の例えであることに気がつくまで、一瞬時間が必要でした。

「最初に、正しい道に導こうとする私に従わせるまでが肝心」

「最初に、自分の言うことを素直に聞くようにさせるのが大変」

そういう意味だったのかな?と、今は感じています。

 

その時の自分は、なぜか全然笑えなかったんですよね。

周囲の先生は「そうだよなあ」と同意して笑い合っていましたが、私は何がどう面白いのか分からなかった。

そしてそのままチャイムが鳴り、先生方は散り散りに授業の準備のために職員室を去っていきました。

 

生徒はこれから成長していく”可能性の芽”、”育み伸ばす存在””大切な未来そのもの”です。

人間と違う種のサルたちとですら、身振り手振りのコミュニケーションで数字や言葉を学ぶ研究がなされるのに(大袈裟?)。

ましてや、こどもたちとは言葉でコミュニケーションができます。

私はこの言葉に、「”強制”的に何かを覚えさせ、”調教”するかのような例え方」に違和感を覚えたのです。

生徒を貶める”教員ジョーク”に笑えなかった自分がいました。

 

”あれ?"っていう感覚、"心のざわつき"を無視しないことが大切。

私はその時まだ新米教師でしたから、違和感を感じつつもこんなふうに感じていました。

「私はそこまで、生徒が真人間(?)になるよう"きちんと教育する"自信がないな。だって自分自身が未熟な人間だもの。まだまだ教員として、甘いんだな」

自分の違和感は、単なる教師としての”未熟さ”から感じているものと思い込んでいました。

そして、いつか自分に”教員としての自信”がつく日を夢見て、仕事に忙殺されていきました。

 

でも結局、その”教員としての自信”がつく日は、やってくることはありませんでした。

この出来事から十数年後、私は学校を去ってしまったからです。

 

ベテラン先生との何気ない会話で感じた”違和感”は、なんだったのか。

それは、「先生は生徒よりも上であり、教え導く存在である」という明確なヒエラルキーへの違和感でした。

 

心の奥底の本当の声は、消せない。

若い頃は目の前の生徒のために、授業準備や部活動指導で必死です。

こんなふうに、”教師とは?””教えるとは?””学校とはどのような存在か?”なんていう本質的な問いについて、何一つ深く考えたことがありませんでした。

 

だってね〜、毎日大変ですから!!(笑)

クラスLINE上でのネットいじめ。対教師暴力。学校内での窃盗案件。どんどん増える事務仕事。。。(あれ?最後のはちょっと愚痴ですね)

学校が変わっても、悩みは尽きず、トラブルは絶えず(笑)

担任している生徒が長欠すれば、何度も自宅に足を運びます。生徒が何かやらかしちゃったら、家庭訪問して諭します。その合間に、長欠の子が少しでも学校に来れた日は、同じ部活の奴をこっそり呼び出して、「ちょっと○○くん相談室に来てるから、話してきてみてよ。悪いねえ〜」なんつって、促してみたり。

また、授業がうまく行かないと、とことん落ち込みました。

何がいけなかったのか?どこの説明の仕方が悪かったのか?恩師に突然メールして授業の仕方について質問したり、同じ国語科のベテラン先生を捕まえて、本文の解釈について質問攻めにしては迷惑がられました。

そんなんだから、何にも考えたことがなかったんです。

ひたすら全力で毎日をこなすことしかできなかったから。

 

生徒は学校に来るのが当たり前だったし、それ以外の選択肢があると考えたことすらなかった。

生徒自身が持つ違和感を受け止め、それを言語化させるための効果的な接し方もできなかった。

”だって、高校くらい出てないとまともな職につけないでしょ?”それが私のスタンダードな立ち位置だったからです。

 

”せめて、高校くらいはきちんと卒業させたい”というただ1点の目標を目指して、目の前の子どもたちの姿を懸命に追っているだけの日々。

そんな日々はどんどん過ぎていって、新人時代を終える6年間の勤務が終わろうとしていました。

卒業生を出すと同時に、新たな学校へと異動しました。

 

夫に「辞めたい」と言い続けた5年間

転機は、その新人時代を終えた後の異動先の学校での勤務でした。

いや、それよりも前に何度も転機や違和感は来ていたはずが、私は自分の心の声を無視し続けていたのでしょう。

 

”教師として、立派に勤め上げねばならない”

”教科指導のエキスパートになりたい”

”担任として、しっかり生徒をまとめて行かねばならない”

”部活動指導もきちんとやらないといけない”

”分掌の事務仕事も正確に速くこなしていかなきゃ”

肩に力を入れて、虚勢を張って、別人の”わたし”になって、「よし!!」と気合を入れ毎日職場へ通っていました。

 

でも、クラス運営はうまく行かず、分掌の仕事もミスばかり。

また、授業も大したスキルもないのでICT機器に頼ったり、にわか仕込みのグループワークをやってみたりしました。時にはいきいきとした生徒の姿を見ることはありましたが、授業に参加しようとせず一切課題も提出しようともしない生徒が複数いたことも。辛かったですね。

 

私はその頃”先生である私に楯突くなんて、一体どういう了見なのか?”ぐらいに思っていたので(→まずこれが問題)

"自分の意見や軸をしっかりと持つ生徒"と、うまくいくはずがありません。

本来であれば、論理的に”今やるべきことは何で、その理由はこうである”とか、

”なぜ、この授業のこの時間に、この作業をする必要があるのか”などを、順を追って納得のいくように彼らに説明する必要があったはず。

そんな力が、もしその時の自分にあれば。

その頃の自分が、自分に欠けている力に気づいていれば、また違ったのかもしれませんね。

 

私はとにかく、新人時代のあの”違和感”をすっかり忘れ、あのベテラン先生のように”立派な教師”になろうとしていたのです。

「先生は生徒よりも上であり、教え導く存在である」という明確なヒエラルキーを、正義として自分の中で正当化し、努力していました。

そんな日々が重なってくると、どうも体が重いのです。

風邪かな〜?とか、最近忙しいから疲れてんだな〜と思っていました。(実際、仕事を休むほどの体調不良があったわけでもなく)

*なんか、しんどいなあ〜。

*自分は本当にこのままでいいのかなあ〜。

漠然とそう思う日が増えていくだけ。

 

そして極め付け。年度末になると夫に決まって「仕事を辞めたい」と言い出すようになりました。

そんな時期がなんと5年(!)も続きました。

夫さん、本当にごめんなさい。

そして、退職の選択を認めてくれて、ありがとう。

 

退職後に、見えたもの

私は15年勤めた高校教員という仕事を離れ、ただの「わたし」になりました。

もう先生じゃない。

重責から解放されたことで少しホッとするとともに、寂しさを感じていました。

子どもたちと勉強する時間は、かけがえのないものだったから。

 

そして、福祉事業(放課後等デイサービス)に従事しました。さまざまな事業が重なって、短期間で職を辞してしまい、上司の方々には大変なご迷惑をかけましたが、やっぱりそこでも上記「猿の例え話」と同じような感覚を拭い去ることができなかった。

自分や世間の決めた”ふつう”や”平均”に、こどもたちを近づけることは、果たして教育と呼ぶのだろうか?

どうやったら、本質的に互いの違いを認め合いながら、大人も子どももワクワク学んでいく場所ができるんだろうか?

 

今も、その問いの答えを探し、模索し続ける日々が続いています。

 

 

ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

また次回のブログでお会いしましょう♪

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