※現在執筆中!!!  2023年3月末 完全公開予定

ZENON-WAKAME’s SPECIAL SUPPORTERS-

VOL.1

長谷川 智紀さん

FAM -Facilitate Action Meeting-主催

”新しいことを生み出そうとする人、頑張る人を応援する。”

やりたいことを持つ異業種の仲間たちのコミュニティを主催する長谷川さん。

WAKAMEのクラファンを支援し、

初代WAKAME応援団長に就任してくださった経緯とは?

現在のご自身の活動の詳細や

故郷新潟への思い、

「やりたいこと」を見つける旅路のど真ん中にいる子どもたちの、

大切な未来を支える私たち大人が出来ることは何か!?など、、、

さまざまな視点からお話をうかがってみました。

-なぜ、WAKAMEの応援団長になってくれたんですか?

東京でコンサルティングのお仕事で日々、お忙しくされている長谷川さん。

中学校の同級生であるフジエダとは旧知の仲です。(記事中では長谷川くんと呼ばせていただいてます)

クラファンに参加して、今後の活動にも関わる「WAKAME応援団」のネーミングライツを購入し、深くWAKAMEに関わろうとしてくださったのは一体なぜなんでしょうか?

僕自身、社会で日々生きる中で「もやもや」を抱えている人たちに、

新しい一歩を踏み出してもらうことを支援する勉強会を主催しています。

この活動を通じて、起業やチャレンジする人を応援することがライフワークになっているんですね。

その活動の一環で、あるアーティストさんと一緒に、

発達支援施設で発達のでこぼこを持つ子どもたちを対象に

ペインティングのイベントを実施しました。

そのときに子どもたちが描いた作品、創り上げる過程の空間は眩しいほど美しく、

僕たちの価値観がいかに曖昧で絶対的ではないということをあらためて実感したんです。

こうした活動を通じて、

既存のルールに疑問を持ったり、スクラップ&ビルドしていったりすることは、

この社会でとても大事なことだと思って生きています。

そういった視点に立つと、社会である程度の経験を積んで

見渡すことができる状態になった人がするチャレンジは、

若い人の行うチャレンジとは別の価値があると思っています。

僕が考える価値とは、経済的価値だけではありません。

誰か1人でも笑える人が増える仕組みを作れたら、それは社会的価値があることです。

子どもたちに限らず、誰かが作った型が生きにくい人を生きやすくできたら、それはとても意義深く価値が高いことです。

その活動がマネタイズできるかどうかは、継続性の観点で後から考えれば良いことです。

そんな僕が、READYFOR に陽さんが書いたプロジェクトの説明文を読んだらどう思うのか?

・・・説明が不要なんじゃないかと思います。共感しかなかったです。

-なるほど、、、あらためて言葉にしていただくと、めちゃくちゃ照れますが(笑)嬉しいですね・・・私自身も、自分以外にもほとんど同じことを感じて活動されている方がいると知って嬉しかったです。

そんな長谷川さん自身が主催する「勉強会」って、どんな会なんですか?

FAMは「勉強会」と紹介していただくことが多くありますが、

実態としては誰かが何かを意図的に教えようとしているわけではなく、

「やりたいこと」と向き合っている活動を共有する場です。

1人あたり10分前後の持ち時間で、毎回10人以上の方々に自分自身の活動を発表してもらい、質疑応答を交えてコミュニケーションを取ってもらっています。こうした発表と質疑応答を通じた交流が、自分自身が活動をする上で大きな学びになるため、「勉強会」という説明がなされていると理解しています。

とはいえ、今の社会で「やりたいことをやる」というのは、言うほど簡単ではないと思います。

学生であれば、社会を俯瞰的に見ることができない状態で「選択肢を増やす」といった大義を信じて、できるだけ良い学歴に向けて頑張りますが、頑張った人ほど手に入れた選択肢から「やりたいこと」に悩むことが少なくありません。


会社に所属していたら、その会社の文化やルールに合わせなければならないこともたくさんあり、入社時に掲げていた「やりたいこと」を自分の中で押し殺さなければならないことが山ほどあります。

-確かに・・・皮肉なことではありますが、努力していればいるほど、自分が本当にやりたかったことってなんだっけ?という問いにぶつかる可能性が上がる気がします。自分に与えられた場で日々考え抜いて生活していれば、新たな課題意識もどんどん湧いてきますしね。

そういったときに、普段の自分と近しいコミュニティにいない人と会話をすると、「やりたいこと」を見つめ直せたり、向き合う方法が見つかったり、「やりたいこと」の実現に向けて一歩前に進むことができます。

FAMには「やりたいこと」をやっている人が集まっていて、これから「やりたいこと」に向き合いたい人にとっても、大きな刺激を得られる場所になっています。そして、既存の社会集団に属する生活の中で抑圧してきた「やりたいこと」を見つめ直すきっかけを得られる場所にもなっているんだと思います。

また、「やりたいこと」をやっていると、気持ちが折れてしまいそうになることもたくさんあります。そんなときに「やりたいこと」に向き合っている人と同じような悩みを共有できることは、気持ちを立て直して、さらに一歩を踏み出す勇気になります。

私はFAMを通じて「活動を共有する場の提供」のみ行っていますが、結果として上記のようなことに貢献できればと考えています。

FAM立ち上げのきっかけは?

-なるほど、、、、。確かに、私もフリースクールを立ち上げた当初、拠点の内野町の起業家の方々と話して意気投合して元気をもらいました。自分と同様に「やりたいこと」に向かう方々の存在にどれほど勇気づけられたか分かりません。

素晴らしいコミュニティですね、FAMって。ところで、FAMを立ち上げよう!!と考えた、最初のきっかけはなんだったんでしょうか?

下町ロケットに感銘を受けたミーハーな気持ちで(笑)、鮫島先生が主催されているイベントに参加したのがきっかけです。参加した次の回から、そのイベントの運営をお手伝いさせていただくことになりまして、それがFAMの前身「世代間交流会」となります。

-恐れ入ります・・・「鮫島先生」とは、どんな方なんでしょうか??(下町ロケットと、関係ある方なのかな??☜当たり前です)

弁護士法人内田・鮫島法律事務所代表で、小説『下町ロケット』に登場する「神谷弁護士」のモデルになった方ですよ。(小説家の池井戸潤先生と鮫島正洋先生との出会いや小説執筆までの経緯は割愛しますが・・・)

-ちょっと驚きすぎて言葉になりませんが(笑)なるほど、、、直接鮫島先生とお会いできるイベントがあったんですね!!

そうです。当時の運営のメンバーは、20代後半から30代前半で構成されていて、それぞれ活躍の場が増えていくのに従い、運営に割く時間の確保が難しくなっていきました。結果的に、私と鮫島先生だけで継続的に回せる仕組みにすることになり、そのタイミングで名前をFAMに変更しました。

ビジネスコンテストやVCへのプレゼンの場など、ビジネスモデルがエコサイクルとして成立する活動に対する発表の場は数多くありますが、大きなビジネスになる見込みがなければ発表が許されません。

ビジネスモデルを組む手前のプロセスにも大きな壁がありますし、仮にマネタイズが見込めない活動だとしても、個人の「やりたいこと」には大きな価値があります。それを応援する場が他に無いので、前身も含めて10年以上も継続している理由だと思っています。

-確かになあ。。。自分がやりたいことをする時って、周りからは「それで食べていけるのか」「その事業はお金になるのか」を、先に見られちゃうところありますよね。食えなそうならやめておけと言われ、逆に、お金になりそうならノウハウだけに群がってくる輩がいたり。

でも、本当は「これをどうしてもやりたいんだ!!」っていう強い気持ちこそが重要で、そん思いを抱く方々をシンプルにまず応援する活動って、素晴らしいと思います。

長谷川さん自身、こちらの活動を通して得た視点や考え方の深まりがあったりしたと思うんですが、そこのところはいかがですか?

そうですね・・・。例えば、共有してもらった「やりたいこと」を実現するときには、キレイごとだけではない話が出てきます。

事業を立ち上げるなら資金の問題、ビジネスの優位性を確立させるなら知的財産の問題、効率よく業務を行ったり広告宣伝をするならシステム化の問題、活動を加速させるための人的リソースの問題。それこそ数え上げればキリがありません。

これらを解決させるためのノウハウや人的ネットワークがFAMを通じて獲得できていることが、、僕自身の最も大きな変化だと思います。

また、僕が直接的に介在しなくても、参加者同士がつながってくれて、間接的にFAMがお役に立っているケースも多々あります。そういった薄い効用実感を喜べる価値観が自分自身の中にあると気づいたことも変化の1つかもしれません。

-ご自身の小、中学生時代と、今の自分の活動とはどんなふうにリンクしていますか?

-ところで、、、私(藤枝)と長谷川くんって(もう言葉遣い敬語じゃなくなっとるけど)中学校時代結構男女関係なく大人数で遊んでいたじゃないですか。あの頃の長谷川くんって、このような活動を自ら主催するという今の長谷川くんと、、、正直少し雰囲気が違ったような気がするんです。良い意味で、もっとクールな印象だったような・・・?

それを言っちゃいますか(笑)・・・なんか、中学生ぐらいのときって「頑張ることが恥ずかしい」みたいな時期がありませんか。それは、自分自身が何かに一生懸命になりたいのになれていないことへの苛立ちで、頑張れている人を茶化して認知的不協和とバランスを保つ行為なんじゃないかと僕は思っています。

僕自身は、まさにそういう人間だったなぁ、と今になって振り返ると思えていて、思い出すと恥ずかしい気持ちにもなりますが、だからこそ、頑張る人の応援ができている今を大切に思えています。

-そうなんですか!?なんだか、意外だなあ。。。

私は今回久しぶりに長谷川くんとお話しできて、全然あの頃と変わらない部分もありつつ、新しい考え方をたくさん教わったりできて、とっても嬉しいです。なんか、懐かしいのに、新鮮な感じ。

きっと長谷川くんが、日々新たな価値の創造のために努力を惜しまず過ごしている方だからなんでしょうね。

突然だけど、、、お父さんになって、気づいたことってある?

-さらに踏み込んでご質問しますと、、、私自身は子どもは授かることができなかったものですから、夫婦ふたりの生活を選んだのですが、長谷川くんはお子さんがいますよね。お父さんになってみて、教育事業というフィールドに対しての思いは変わりましたか?

なるほど、では・・・保護者の立場から話させていただきますね。

教育環境に問題があるとされている方々のお話を伺うと、広義の教育を学校に押し付けている人が多いと感じています。

そもそも、学校は教員という「教科を教えるプロ」がいる場所であって、それ以外に学校で学ぶとされていること、例えば「給食」「掃除」「人間関係」「休み時間の過ごし方」といったことに精通したプロが集まった場所ではありません。プロではない人に期待をするのは筋違いです。

-なるほど!そういう考え方をしてくださる方もいるんですね(思わず教員視点に立ってしまうフジエダ。)確かに、私は掃除を学んだプロフェッショナルではないですし、、、(笑)でもなんでもできなくちゃダメなんじゃないかって思っていたんです。

なるほど(笑)う〜ん、僕自身はそうではないと思っていて。さらに別の言い方をすれば、「教科を教わる」ということ以外は学校に期待せず、僕たち保護者が教育者として責任を負うべきだと僕は考えています。

「そんな時間は無い」という人もいるでしょう。父子家庭や母子家庭はもちろんのこと、共働きの家庭でも、お仕事と子育ての両立は大変だと思います。しかし、それは教育環境の問題ではなく、社会の問題です。学校に押し付けるべきではありません。

教育の責任が自分たちにあると思えたら、盲目的に学校だけが選択肢ではないことに気づくはずです。もし、我が子が学校で教科を教わることよりも優先すべきことがあるとするなら、学校に通わせないことも選択肢として取り得ます。例えば、スポーツや芸能に時間を割かせてあげるのであれば、学校に通う時間は物理的に縮小されます。それと同じように、我が子と学校が合わないと思ったら、学校に通わせない選択肢は取り得るでしょう。

先ほど挙げたスポーツや芸能を特別視したり、才能が見い出せていることを条件にしたりすることを止めれば、保護者にとっても子供にとっても、教育は自由に選択できるようになります。自由には責任を伴いますが、その責任を保護者が受け止めることで、より良い教育環境の構築に一歩が踏み出せるのではないかと思います。

-保護者の方であっても、さまざまな考えをする方がいるのは当然のことなのに、すごく元気づけられました。私は教員だった頃、自分はあらゆることに精通しなければならないと義務感を抱いていたので。一人の大人としての関わり方や立場は違えど、お子様一人ひとりのより良い教育環境について真剣に考えれば、自分の責任領域が見えてくるという面はありますね!

-藤枝が一番聞きたかったこと、聞いていいですか?

-一つひとつのお話が大変勉強になります。ところで、話は少し変わるんですが、、、

私が教員だった頃、日本は学校や社会というものからの「同調圧力」が強い国だなあと感じることが多かったんですね。

さらに今不登校のお子さんたちと一緒に学んでいると、不毛な同調圧力の中で疲弊している方も多い。さまざまな要因が複雑に絡み合っている問題だとは思うんですけれど、長谷川くんはこのことについてどう考えていますか。どうしたら、”同調圧力”から自由になり、不毛な”画一化”から脱却して、自由に自分の「やりたいこと」を追い求めて生きることができるんでしょうか。

一言で表現するなら、目的と手段を入れ替えないことに尽きると僕は考えます。

画一的だと短期的には経済合理性が高くなることが多いので、経済的な豊かさを求めると画一化のバイアスがかかります。

逆説的には、経済的な豊かさを最優先にしなければ画一化から解放されます。

経済的に豊かになることは、幸せになる手段の一つになることがありますが、お金持ちになっても幸せになれるとは限りません。

僕らは幸せになるために生きている。

そして、「やりたくないことをやらされる」よりも「やりたいことをやる」方が幸せである。と思っています。そうだとしたときに、みんながそれぞれの「やりたいこと」に向き合ったら画一的にならないのではないか?というのが僕の考えです。つまり、「やりたいこと」を「経済的な豊かさ」よりも優先させる。ということです。

もちろん、「やりたいこと」を継続させるためには資金が必要になりますが、あくまで「やりたいこと」という目的を達成させる手段としての経済的な豊かさの獲得です。それを入れ替えないことで「画一性からの脱却」が実現できるのではないでしょうか。

未来を生きる子どもたちに、伝えたいこと。

-なるほど!!「やりたいこと」を継続させるために、どうしたら資金をつくることができるかという視点で学べば、お金だけを追い求めることはないですもんね。自分が求める生き方とお金の問題を分けて考えたりせずに、フランクにセットで語ることができたらいいですよね。

さて、次が最後の質問になりそうです。

未来を生きる子どもたちに、伝えたいことを教えてください!!

自分のことを幸せにする責任だけは、誰にも手渡すことができません。

だから、憲法にもある「公共の福祉に反しない限り」自分の幸せを追求して欲しいと思います。

端的には「やりたいこと」に正面から向き合ってください。ということです。

もし「やりたいことがない」と思いながら、Netflixを観ているなら、それが「やりたいこと」かもしれません。その「やりたいこと」を続けるために、例えばnoteに有料で感想を書いてみる。もしかしたら、どこかで利用料金分ぐらい稼げるかもしれません。それを元手にどんどん書き溜めていったら、書籍化の話がくるかもしれません。書籍化されれば、利益が出版社と分配されます。あなたの「やりたいこと」が他人の生活を支えるようになるのです。「やりたいこと」と向き合って、少しだけ社会との接点を作れたら、その接点は線となり面になる可能性を秘めています。これが書籍化を求めてnoteを始める話だとしたら、継続もしないでしょうし成功もしないでしょう。

少し極端な話をしましたが、この不安定な時代で先の先のことまで見越して、経済的に成功するかどうかを考えても、それは誰も約束してくれません。そんな不確実なシミュレーションに身を任せるのではなく、ぜひ「やりたいこと」に向き合って幸せになってください。

長谷川くん、貴重なお話をありがとうございました!!これからもWAKAME応援団長として、よろしくお願いいたします!!

※こちらの記事はREADYFORで行ったクラウドファンディングプロジェクト「子どもたちのよりどころ☆新潟市の小さなフリースクールを守りたい!!」のリターンとして製作しています。